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試合の本質は人によって異なっています。学ぶということは、ただ会長の言うことを聞いて真似をすることではない。学ぶということは、絶えず何かを発見する終わりのない道のりなのです。學んで、気づいて、発見して、表現できるようにならなければいけない。 
自分は生徒に、あらゆる固定観念や様式が柔軟性や適応性にとって何も役に立たないことを言っています。本質とは、いかなる様式にも当てはまるものではないのです。 
上尾道場の空手道は、闘いにおける究極の現実に立ち向かう稽古であり鍛練でもあるのです。究極の現実とは、単純で直接的で形にとらわれないものです。真の上尾道場の空手道は、力で対決することはない。完全に屈伏することも決してない。バネのようにしなやかに、相手の強さに対応する。そして相手の技までをも自分のものにしてしまう。何の単備もなくても、あらゆる状況に対処しなければならない。その動きは竜巻のように速くなければならない。  
 リラックスし、心の準備ができた状態で、考えず、夢想せず、物事にとらわれず柔軟であることで、それはまったく静かに活動し、意識して油断なく、何が来ようと大丈夫な状態です。(円やかな心・円やかな動き)です。 
羽田流空手では、どれだけ習ったかではなく、習ったことから、いかに多くのことを身につけたかが重要になります。どれだけ固定観念を畜積できるかではなく、何が実際に使えるか、である。行動よりも実質が大事です。少しでも完成された人間に近づくことが目的なのです。大きな目標を与えることをやってきた。いわば、流派のための空手ではなく、本当に空手を習う人のための空手を実現することなのです。

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